3月11日(金)
デスクで仕事中、揺れを感じた。
会社が入居しているこのビルは、もともとは電算センターが入るために設計された
頑強なビル。それを後に関係会社が購入したもの。
少しの揺れでは、何ともないのだが、その時は「揺れた」。
天井が落ちてくるかもしれないことも覚悟した。
でも、なんとか何も損害はなし。
棚は壁に固定されていたし、中のファイルが飛び出してくることもなかった。
しかし、インターネットやTVで報道された情報が徐々に出始めると、ただ事ではないことを思い知らされた。
交通機関はどこも「不通」であることを知った。
東武電車のHPでは、東上線は「通常運転中」との表示。
ここは護国寺で、その表示を信じた上司や部員は、隣の部署の○○が池袋に送ってくれるということで、退社。
他部署の社員もタクシーで帰ると言い残し、退社。
しかし、東武のHPは、ただの対応遅れ。
後の一週間も含め、こんな沿線のマンションを購入したことをひどく後悔する。
池袋方面に通学、通勤する方は、西武、東京メトロ、JRの駅を利用可能か否かを重視すべし。
早々と会社に一泊することを覚悟していたのだが、隣の部署の○○がしつこく会社の車で帰ろうと
誘うので、仕方なく午後7時過ぎに退社。
「道路は車でごった返すに決まっている。動くわけないのに」と思っていたものの、
案の定だ。
帰宅は翌日の2時。
3月12日(土)
午前中に病院へ。
帰宅後、隣のショッピングセンターへ食料の調達に行く。
年末よりひどい混雑。棚にあるべきものがない。
あるべきものとは、僕のただの独り言。
必ず「ある」ことを前提にした僕の独り言。
ないかもしれないのだ、「もの」というものは。
3月13日(日)
用事があったので、会社に出社した。
電車は当たり前のように動いていた。
当たり前のように動く。
それが至極当然で、ここでの生活の前提だ。
帰宅して、報道を見る。
唖然とした。現実感がなく、受け入れることができない。
昨日も同じ報道を見ていたのに、受け入れることができない。
日本海側の地方都市に住む姉に電話した。
電力会社に務める義理の兄は、地震のために排水だか、給水だかの設備が壊れ
発電できなくなり、停電となってしまったために呼び出されてしまったという。
姉も薬剤師のために呼び出しを...。その他もろもろ。
3月14日(月)
午前6時半。ふじみ野駅。
電車は動いていない。
上司に電話して、歩いていこうとしたが、止められる。
自宅待機ということに。
状況を考え、ショッピングセンターで自転車を購入。
開店直後に行ったはずだが、既に先客が数人。
気づくと、僕の後ろには購入希望者の長蛇の列。
しかし、整備士が電車不通の影響で出社できず、引渡しの日時は約束できないという。
誰も文句は言わない。言えない。こんな状況では。
3月15日(火)
午前6時45分。
電車の運行状況は変わらず。
駅に向わず、川越街道をひたすら歩く。
志木から午前10時より電車が動くとの情報だったが、乗れるものではないだろうと思い、
有楽町線始発駅の和光市へ。
午前9時25分到着。
午前9時30分、有楽町線電車で出発。
出勤ピークを過ぎていたのか、つり革につかまっている乗客は僕を含めちらほら。
次の成増駅で僕の前に座っていた女の子が降りたので、座れた。
護国寺まで、うとうと。爆睡とはいかず。
帰宅も有楽町線で和光市まで。
そこからひたすら歩く、疲れと向かい風から3時間以上を要した。
3月16日(水)
早朝電車が動いているとの情報で、5時30分に自宅を出発。
5時40分の電車は満員で乗れず、スルーした。いや、された。
次の5時50分の各駅になんとか乗れた。
和光市で有楽町線に乗り換え、7時過ぎに護国寺到着。
自転車引渡し可能との連絡があり。
帰宅時、和光市のホームが人で溢れ(寿司詰めの満員電車よりも)、非常に危険な状況だった。
たまに到着する東上線の電車は、すし詰めで乗れない。
しかし、次々に有楽町線電車を引き込む東武の駅員。
無能者!
3月17日(木)
午前6時30分、自転車で護国寺をめざす。
午前8時30分、会社到着。
午後5時、緊急停電との報道で、強制退社。
しかし、歩道は人で溢れ、前に進めない。
向かい風の強風もあり、3時間を要す。
3月18日(金)
午前6時、自転車で護国寺をめざす。
午前8時、会社到着。
都内は未だ歩行者がまばらで、昨日よりも走りやすい。
しかし、歩行者のほとんど(ほとんど!!!)が路上喫煙!
この時期に不謹慎ながら「お前が死○!」と頭のなかを巡りに巡る。
午後7時頃に退社。
疲れ切っていた。仕事はほうりだしての退社。
日没後だったため、昨日よりも歩道は走りやすい。
車道を走りたいのだけれど、危険すぎる。
午後9時30分頃に到着。
ここ一週間、色々と考えた。
しかし、地に足が着いていない、非常に危うい心持ちで、きわめて不安定だ。
被災し、ご家族や知り合いをなくされた方々は、こんなものではないだろうことは、容易に推察...
こんなことを不用意に言うことすら憚られるほどに、心苦しいばかりだ。
お亡くなりになられた方々のご冥福を願うとともに、今後の残された方々のために
何が出来るのか
僕を取り巻く足元の状況は固まらず、定まらぬ精神状態に
自身の「ふがいなさ」を見出すのみだ。
今もまだ、整理がつかない。